美容編
第12話
春。
ルミエールの前に、小さな桜の花びらが舞っていた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
以前と変わらない朝。
でも、店の中は少しだけ変わっていた。
月曜日は彩がいる日。
水曜日は教育の日。
金曜日はSNSの撮影日。
土曜日は全員がそろう。
それぞれの働き方に合わせて、一週間が組み立てられている。
誰かに合わせるのではない。
みんなで支え合うための一週間だった。
「陽菜、今日のインスタお願いね。」
「はい!」
「翼さん、このあと動画一本撮れます?」
「もちろん。」
「彩さん、新人さんお願いできますか?」
「喜んで。」
自然だった。
誰も、「週二日だから」とは言わない。
誰も、「正社員だから」とも言わない。
役割で動く。
それが、この店の日常になっていた。
午前中。
一人の女性が店に入ってきた。
「こんにちは。」
少し緊張した様子だった。
神崎が笑顔で迎える。
「こんにちは。」
「今日は見学で……。」
女性は少し頭を下げた。
「美容師を辞めて五年になります。」
その言葉に、彩がゆっくり立ち上がった。
「あ。」
二人は顔を見合わせる。
「久しぶり。」
美容学校の同級生だった。
「彩。」
「元気だった?」
「うん。」
少し話をしたあと、その女性は店内を見回した。
「ここ。」
「雰囲気が変わったね。」
彩は笑った。
「うん。」
「みんなが働きやすくなったからかな。」
女性は驚いたような表情を見せる。
「そんな美容室、本当にあるんだ。」
神崎が近づく。
「まだ途中ですけどね。」
「途中?」
「完成なんてないと思ってます。」
「働く人が変われば。」
「働き方も変わります。」
「だから。」
「この店も変わり続けます。」
女性は少し安心したように笑った。
「私でも。」
「もう一度、美容師できますか?」
神崎は迷わなかった。
「できます。」
「でも。」
「昔と同じ働き方をしなくてもいいんです。」
女性の目に涙が浮かんだ。
「その言葉。」
「五年前に聞きたかったな。」
午後。
店には常連の田中真由美が来店していた。
鏡越しに店内を見渡しながら笑う。
「このお店。」
「なんだか空気が変わったわね。」
神崎が聞き返す。
「そうですか?」
「うん。」
「前も居心地は良かった。」
「でも今は。」
「みんなが楽しそう。」
「働いている人が笑ってるお店って。」
「お客様にも伝わるのよ。」
その言葉に、スタッフ全員が顔を見合わせて笑った。
閉店後。
神崎は店の前に立っていた。
店の看板を見上げる。
十年前。
独立した日。
「いつか、地域で一番の美容室に。」
そんなことを考えていた。
でも今は違う。
地域で一番売れる店じゃなくていい。
地域で一番、
美容師が長く働ける店。
そんな美容室を目指したい。
店のドアが開いた。
「社長。」
美咲だった。
「どうした?」
「今日。」
「求人の問い合わせがありました。」
「本当?」
「はい。」
「ホームページを見たそうです。」
「どんな美容室なんだろうと思ってって。」
神崎は少し驚いた。
「求人サイトじゃなくて?」
「はい。」
「『働き方に共感しました』って。」
神崎は思わず笑った。
「そうか。」
募集したのは人じゃない。
伝えたのは、
この店の考え方だった。
そのとき、スマートフォンが鳴る。
池元南からのメッセージだった。
「美容室、順調ですか?」
神崎は少し考えて返信する。
「まだ始まったばかりです。」
すると、すぐに返事が届いた。
「その言葉が一番好きです。」
神崎はスマートフォンをしまい、店の明かりを見つめた。
美容師を辞めた人は、たくさんいる。
でも。
美容が嫌いになった人は、案外少ないのかもしれない。
もし働き方が変われば。
もう一度ハサミを持てる人がいる。
もう一度、お客様の笑顔に出会える人がいる。
もう一度、自分らしく働ける人がいる。
そんな未来は、きっと美容業界だけの話ではない。
看護も。
保育も。
介護も。
そして、これから先のさまざまな仕事も。
人が仕事に合わせる時代から、
仕事が人の人生に寄り添う時代へ。
神崎は店の照明を消した。
ガラス越しに見える店内は静かだった。
けれど、その静けさの中には、新しい未来が確かに息づいていた。
美容は、人を美しくする仕事。
その前に。
美容師が、自分らしく生きられる仕事であってほしい。
そう願う人たちがいる限り、
美容の未来は、きっと何度でも描き直せる。
― 完 ―