美容編
エピローグ
「神崎さんの記事、読みました。」
ある日、一通のメールが届いた。
送り主は、遠く離れた県で美容室を経営するオーナーだった。
「うちも人が辞めて困っています。」
「週2正社員が答えかどうかは分かりません。」
「でも、『働き方を変える』という考え方に、救われた気がしました。」
神崎はメールを読み終えると、小さく笑った。
あの日の自分なら、「どうすれば人が辞めないか。」ばかり考えていた。
でも今は違う。
「どうすれば、この人が働き続けられるか。」
そう考えるようになっていた。
店の窓から外を見る。
今日は彩が出勤する日。
陽菜は後輩にシャンプーを教えている。
翼は常連のお客様と楽しそうに笑っている。
美咲は予約表を見ながら、みんなの予定を調整している。
誰も同じ働き方ではない。
だからこそ、店は回っていた。
「社長。」
神崎が振り返ると、美咲が立っていた。
「来月から、新しく一人見学に来ます。」
「そうなんだ。」
「美容師を辞めて六年になる方だそうです。」
神崎は少し驚いた。
「また?」
「はい。」
「ホームページを見て、『こういう美容室があるなら、もう一度挑戦したい』って。」
神崎は思わず笑ってしまった。
求人広告は出していない。
給料を上げたわけでもない。
特別な福利厚生を作ったわけでもない。
変えたのは、働き方に対する考え方だけだった。
そのとき、入口のドアが開いた。
「こんにちは。」
入ってきたのは、佐伯真理だった。
「お久しぶりです。」
神崎は笑顔で迎える。
「あれ?」
彩が奥から顔を出す。
「真理さん!」
「彩さん!」
二人は以前、池元南が開いた勉強会で知り合っていた。
「看護師のお仕事、順調ですか?」
「はい。」
「週2日から始めたんですけど、今では週3日になりました。」
真理は穏やかに笑う。
「少しずつ、自分のペースで働いています。」
そこへ、美咲がコーヒーを運んでくる。
「保育園の石井さんも、この前来られましたよ。」
「そうなんですか?」
「『保育園でも少しずつ働き方が変わってきました』って。」
神崎は、その会話を少し離れたところから聞いていた。
看護。
保育。
美容。
業界は違う。
悩みも違う。
でも、みんな同じことを話している。
「仕事は好き。」
「だから続けたい。」
ただ、それだけだった。
夕方。
池元南と津森真彦が店を訪れた。
「その後、いかがですか。」
神崎は店内を見渡して答えた。
「相変わらず、毎日いろんな問題はあります。」
「スタッフ同士で意見がぶつかる日もあります。」
「予定どおりにいかないこともあります。」
「でも。」
少し笑う。
「辞める相談より、働き方の相談が増えました。」
池元も笑顔になる。
「それは、大きな変化ですね。」
津森が続ける。
「制度は完成しましたか?」
神崎は首を横に振る。
「いいえ。」
「きっと完成しないと思います。」
「人が変われば。」
「働き方も変わります。」
「だから、この店も変わり続けます。」
津森は満足そうにうなずいた。
「それが一番いい会社です。」
帰り際、神崎は店の前に立った。
夕焼けがガラスに映っている。
十年前。
自分は、「いい美容師」を育てようとしていた。
今は違う。
「幸せに働ける美容師」を増やしたい。
その想いは、一軒の美容室から始まった。
でも、きっと。
同じ想いを持つ経営者は、日本中にいる。
働く人が仕事に人生を合わせる時代から、
仕事が、一人ひとりの人生に寄り添う時代へ。
未来は、誰かがつくるものじゃない。
今日も現場で悩み、
考え、
一歩踏み出そうとする人たちが、
少しずつ育てていくものなのだ。
そして、その未来はきっと、
看護でも、
保育でも、
介護でも、
美容でもない。
「人が、自分らしく働き続けられる社会」
その未来へ向かう、小さな一歩なのだ。