美容編第5話 「みんな、美容が好きだった」

美容編

第5話

みんな、美容が好きだった

「今日はよろしくお願いします。」

池元南は、店のバックヤードに小さな机を用意した。

一人ずつ、三十分ほど話を聞く。

仕事内容ではない。

評価でもない。

ただ、「働くこと」について話を聞くだけだった。

最初に入ってきたのは店長の佐伯美咲だった。

「店長って、大変ですね。」

池元がそう言うと、美咲は思わず笑った。

「そう見えます?」

「少しだけ。」

「じゃあ、正解です。」

美咲は笑いながらも、少し疲れた表情を見せた。

「スタッフには笑っていてほしいんです。」

「でも、オーナーの考えも分かるし、現場の気持ちも分かる。」

「だから、どちらにも『大丈夫です』って言ってしまうんです。」

「本当は?」

「本当は、私も誰かに『大丈夫?』って聞いてほしいですね。」

池元は何も言わず、その言葉を書き留めた。

次に入ってきたのは藤井陽菜だった。

「美容師は好き?」

池元がそう尋ねると、陽菜はすぐにうなずいた。

「大好きです。」

迷いはなかった。

「じゃあ、辞めたい?」

その質問には、少し時間がかかった。

「……辞めたくないです。」

「でも。」

「このままだと続けられない気がするんです。」

「どうして?」

陽菜は少し考えて答えた。

「友達は土日に旅行へ行ったり、結婚したり、子どもができたり。」

「みんな少しずつ人生が変わっていくのに。」

「私は美容師を続けるには、それを全部後回しにしないといけない気がして。」

「美容師を選ぶって、人生を選ぶことなのかなって思うんです。」

池元は静かにうなずいた。

その日の午後。

元スタッフの中村彩が店を訪れた。

赤ちゃんを抱きながら現れた彩を見て、スタッフたちは口々に声を掛ける。

「久しぶり!」

「元気だった?」

店の空気が一気に明るくなった。

ヒアリングが始まる。

「彩さんは、美容師を辞めましたか?」

「いいえ。」

即答だった。

「一度も辞めたと思ったことはありません。」

「じゃあ、どうして退職を?」

彩は赤ちゃんを見つめながら笑った。

「働き方がなかったからです。」

その一言に、池元は少しだけ身を乗り出した。

「週に五日は無理でした。」

「朝から夕方までも難しかった。」

「でも、月に何回かでもお客様に会えたら。」

「髪を切れたら。」

「ずっとそう思ってました。」

「誰かに相談しましたか?」

「しました。」

「でも、『子どもが大きくなったら戻っておいで』って。」

彩は責めるような口調ではなかった。

「それしか方法がなかったんだと思います。」

夕方。

最後に山本翼が部屋へ入ってきた。

「独立しないんですか?」

池元が聞くと、翼は苦笑した。

「十年くらい聞かれてます。」

「しない理由は?」

「美容師が好きだからです。」

「経営者になりたいわけじゃない。」

「お客様と話して、髪を切って、『ありがとう』って言われる。」

「それだけで十分なんです。」

「でも。」

少しだけ表情が曇る。

「この働き方を六十歳まで続けられる自信はありません。」

夕方になり、ヒアリングは終わった。

池元はノートを閉じた。

店の前では神崎が待っていた。

「どうでした?」

神崎は少し緊張した様子だった。

池元は答えず、一冊のノートを差し出した。

「読んでみてください。」

神崎はページをめくる。

そこには、それぞれの名前と、たった一行ずつ書かれていた。

佐伯美咲「誰かに頼れる店長でいたい。」

藤井陽菜「美容師は好き。でも人生も大切にしたい。」

中村彩「美容師を辞めたことは一度もありません。」

山本翼「独立ではなく、美容師を続けたい。」

神崎は何度も読み返した。

池元が静かに口を開く。

「神崎さん。」

「はい。」

「この店には、人手不足はありません。」

「え?」

「足りないのは、人ではなく働き方です。」

神崎は言葉を失った。

人を増やせば解決すると思っていた。

求人を出せばいいと思っていた。

でも。

目の前にいる人たちは、みんな美容が好きだった。

辞めたい人なんて、一人もいなかった。

池元はゆっくりと続けた。

「もし、今いる人たちが、それぞれの人生に合わせて働けるとしたら。」

「この美容室は、どう変わると思いますか。」

神崎は答えられなかった。

でも、その問いが、この店の未来を大きく変える最初の一歩になることだけは、はっきりと感じていた。

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