美容編第4話 「何のために美容室を経営していますか」

美容編

第4話

何のために美容室を経営していますか

「神崎さん、こちらです。」

指定された会議室に入ると、一人の女性が立ち上がった。

「はじめまして。池元南です。」

柔らかな笑顔だった。

名刺には「キャリアコンサルタント」と書かれている。

神崎は少し身構えていた。

正直に言えば、あまり期待はしていなかった。

経営コンサルタントには何人も会ってきた。

売上を上げましょう。

客単価を上げましょう。

求人サイトを変えましょう。

SNSを頑張りましょう。

どれも間違ってはいない。

でも、知りたいのはそこじゃなかった。

「今日は、よろしくお願いします。」

席に着くと、池元はノートを開いた。

「神崎さんのお話を聞かせてください。」

「はい。」

「今、一番困っていることは何ですか?」

神崎は迷わず答えた。

「人が辞めることです。」

「売上ではなく?」

「売上は何とかなるんです。」

「でも、人が育った頃に辞めてしまう。」

「新人が入っても、三年続かない。」

池元は静かにうなずいた。

メモは取るが、途中で口を挟まない。

神崎は不思議と話しやすかった。

美容学校を卒業してからのこと。

独立した日のこと。

スタッフが増えてうれしかったこと。

そして、この数年続いている退職のこと。

気が付くと、一時間近く話していた。

池元はペンを置き、少しだけ微笑んだ。

「ありがとうございます。」

「神崎さんのお話を聞いて、一つだけ聞いてもいいですか。」

「はい。」

「神崎さんは、何のために美容室を経営しているんですか?」

神崎は一瞬、言葉を失った。

何のため。

そんなこと、考えたことがあっただろうか。

「えっと……。」

池元は急かさない。

静かな時間だけが流れる。

神崎は窓の外を見た。

美容学校を卒業した日のことを思い出す。

初めてお客様を担当した日のこと。

独立すると決めた夜。

少しずつ、記憶が戻ってくる。

「最初は……。」

「はい。」

「自分の店を持ちたかったんです。」

「それから?」

「それから……。」

また言葉が止まる。

しばらく考えて、ようやく口を開いた。

「スタッフが笑って働ける店を作りたかった。」

池元は静かにうなずいた。

「お客様が笑顔になるには、まずスタッフが笑顔じゃないといけないと思っていました。」

神崎は、自分でも驚いていた。

そんなこと、何年も口にしていなかった。

売上。

求人。

離職率。

そんな数字ばかり見ているうちに、最初の気持ちを忘れていたのかもしれない。

池元は一枚の紙を机に置いた。

真っ白な紙だった。

「ここに、神崎さんが理想だと思う美容室を書いてみませんか。」「え?」

「売上でも、店舗数でもありません。」

「十年後、この美容室がどんな場所になっていたらうれしいですか。」

神崎はペンを握った。

でも、すぐには書けない。

何を書けばいいのか分からない。

五分ほど沈黙が続いた。

ようやく書いた言葉は、一行だけだった。

『美容師を辞める人を減らしたい。』

池元はその文字を見て、首を横に振った。

「それは目標ですね。」

「え?」

「神崎さんの願いは、その先にありませんか。」

その言葉に、神崎はもう一度ペンを持った。

そして、ゆっくりと書き直した。

『美容が好きな人が、一生働き続けられる美容室をつくりたい。』

書き終えた瞬間、自分でも胸が熱くなった。

そうだった。

辞めさせたくないんじゃない。

無理に引き留めたいわけでもない。

美容が好きな人が、結婚しても。

子どもが生まれても。

親の介護が始まっても。

年齢を重ねても。

ずっと美容に関われる場所を作りたかったんだ。

池元は笑顔で言った。

「ようやく、本当の相談が始められそうですね。」

神崎は少し照れくさそうに笑った。

「そうですね。」

池元はノートを閉じた。

「次は、スタッフの皆さんにもお話を聞かせてください。」

「社長だけが見えている景色と、現場で見えている景色は、少し違うかもしれません。」

神崎は大きくうなずいた。

「ぜひお願いします。」

その日の帰り道。

神崎は久しぶりに空を見上げた。

人を辞めさせない方法を探していた。

でも、本当に探すべきだったのは、

人が働き続けられる理由だったのかもしれない。

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