美容編
第3話
「店長、お時間いいですか。」
朝礼が終わり、スタッフが持ち場へ散っていく。
陽菜が少し申し訳なさそうな顔で立っていた。
「どうした?」
「今日のレッスンなんですが……。」
そこまで聞いて、美咲は察した。
「予定?」
「友達の結婚式の打ち合わせがあって……。」
「そうなんだ。」
「すみません。」
美咲は少し考えた。
「今日はいいよ。」
陽菜はホッとした表情を見せた。
「ありがとうございます!」
その笑顔を見送ったあと、美咲は一人、小さく息を吐いた。
営業後。
神崎オーナーが声を掛けてきた。
「今日は陽菜ちゃん、レッスン休み?」
「はい。」
「そうか。」
神崎はそれ以上何も言わなかった。
責めているわけではない。
でも、美咲には分かる。
オーナーは心配している。
技術が身につくのか。
一人前になれるのか。
それを思っているだけだ。
昔なら。
「予定があるので休みます。」
そんなことは言えなかった。
言おうとも思わなかった。
自分もそうだった。
営業が終わればレッスン。
休日も講習会。
先輩に見てもらえるだけでありがたかった。
だから技術が身についた。
そう信じている。
でも。
同じことを後輩に言えない。
言った瞬間、
「パワハラ。」
そんな言葉が頭をよぎる。
だからと言って、
「好きにしていいよ。」
と言えば育たない。
店長になって八年。
最近、一番増えた仕事は、
"考えること"
だった。
何を言えば伝わるのか。
どこまで注意していいのか。
どう教えれば傷つけないのか。
毎日、その繰り返しだった。
昼休み。
バックヤードで昼食を食べていると、神崎がコーヒーを持って入ってきた。
「座ってもいい?」
「もちろんです。」
二人だけの時間は久しぶりだった。
「最近、どう?」
その一言に、美咲は苦笑いした。
「正直ですか?」
「うん。」
「分からなくなりました。」
神崎は黙って聞いている。
「昔は、もっとシンプルだったんです。」
「頑張れば上手くなる。」
「先輩についていけばいい。」
「いつか自分もお客様が増える。」
「そう信じられました。」
神崎は静かにうなずく。
「でも今は違います。」
「頑張っても辞める。」
「優しくしても辞める。」
「給料を上げても辞める。」
「何が正解なのか分からないんです。」
その言葉は、美咲自身への問いでもあった。
神崎も少し笑った。
「俺も分からない。」
二人は顔を見合わせて笑った。
店長と社長。
立場は違う。
でも悩みは同じだった。
その日の夜。
閉店後、美咲は一人で練習している陽菜を見つけた。
「今日は予定じゃなかったの?」
陽菜は照れくさそうに笑う。
「帰っても、やっぱり気になっちゃって。」
ハサミを持つ姿は真剣だった。
美容師が嫌いになったわけじゃない。
むしろ好きなのだ。
だから苦しい。
美咲はその背中を見ながら思った。
この子たちは、頑張れないんじゃない。
頑張り方が、私たちの時代と違うだけなんじゃないか。
そんな考えが、初めて頭をよぎった。
そしてその数日後。
神崎から一本の電話が入る。
「美咲。」
「はい。」
「知り合いから、キャリアコンサルタントを紹介された。」
「一度、話だけでも聞いてみようと思う。」
美咲は少し驚いた。
社長が外部に相談する。
そんな姿を見るのは初めてだった。
何かが変わり始めている。
そんな予感がした。