第 9 話
短時間正社員の話を持ち帰ってから、佳代は、まだ迷っていた。
続けたい。でも、こんな中途半端な形で、周りに甘えていいのか。責任を果たしきれない自分が、ただ居座るだけになりはしないか。答えの出ないまま、日々は過ぎていった。
ある午後、めずらしい来客があった。梅村トメさんの娘だという、五十がらみの女性だった。関東で暮らしていて、帰ってこられるのは年に一度あるかどうかだという。
「母が、いつもお世話になっております」
女性は、ていねいに頭を下げた。ホールへ案内すると、トメさんは、窓際の椅子で日向ぼっこをしていた。
「お母さん、来たよ。わかる?」
トメさんは、娘の顔を、しばらくじっと見た。それから、にっこり笑って言った。
「……あなた、どちらさま? でも、やさしそうな人ね」
女性の顔が、一瞬、こわばった。それでも、すぐに笑顔をつくって、「そう。やさしいおばさんですよ」と、母の手を握った。
佳代は、少し離れたところで、その様子を見ていた。胸が、しめつけられた。
帰りぎわ、女性は佳代のところへ来て、もう一度、頭を下げた。「母は、私のことはもう忘れてしまったみたいですけど……さっき、“ここの佳代さんは、いい先生なのよ”って、教えてくれたんです。娘の名前は忘れても、佳代さんのことは、覚えてるんですね」
「……そんな」
「どうか、母をよろしくお願いします」
その背中を見送りながら、佳代は、しばらく動けなかった。
トメさんが覚えていてくれる「佳代さん」を、自分は、手放そうとしていた。日にちが減っても、時間が短くなっても、そこにいることには、意味がある。──いま、あの娘さんに、そう教えてもらった気がした。
その日の帰り道、佳代は、スマートフォンを取り出して、宮本施設長に電話をかけた。「あの……短時間正社員の話。前向きに、考えさせてください」
受話器の向こうで、宮本が、ふっと笑ったのがわかった。