第 7 話
翌週の職員会議。机の上には「キャリアパス加算 実施計画」という新しい資料が並んでいた。
「先日の池元さんと津森先生の話、覚えてると思う」宮本が口を開く。「加算は点数を取るための書類じゃない。人を活かす仕組みだと教わった。まずは、小さな取り組みから始めたい」
「小さな取り組みって、具体的には?」佳代が手を挙げる。
宮本は少し笑って答えた。「まずはキャリア面談。ただし形式的なものじゃなく、みんなが“働いていて嬉しかった瞬間”を話す場にする」
「嬉しかった瞬間?」思わず声を漏らしたのは森田だった。椅子に座り直しながら、片手でそっと膝をさする。長年の立ち仕事で、この頃は夕方になると疼くのだと、以前こぼしていた。「そんなの、加算に関係あるんですか」
「あるんだ」宮本は力を込めた。「一人ひとりが自分の仕事の意味を思い出せれば、それがそのままキャリア開発になる。池元さんは、そう言ってた」
しばしの沈黙のあと、佳代が小さく笑った。「……でも、それならちょっと楽しそうですね。普段、愚痴か業務連絡しか話してないし」
場の空気が、少し和らいだ。
数日後、最初の面談が始まった。小さな会議室で、職員が一人ずつ座り、池元が静かに問いかける。「あなたがここで働いていて、“よかった”と思えた瞬間は?」
「利用者さんに、ありがとうって言われたとき」
「夜勤明けでクタクタでも、仲間が声をかけてくれたとき」
「認知症の方が、ふっと昔の歌を思い出して、一緒に口ずさんでくれたとき」
ノートに書き留められていく言葉のひとつひとつが、職員たちの心に小さな火を灯していった。
佳代の番がきた。池元の問いに、佳代はしばらく黙ってから答えた。「……この仕事を辞めようと思ってる、っていうのが、正直な今の気持ちなんです」
池元は、ペンを置いて、静かに待った。
「娘の受験と、母の介護が重なって。フルタイムは、もう続けられそうにない。でも──辞めるって決めた日に限って、利用者さんに“佳代さんがいてくれてよかった”って言われるんです。それがつらくて」
「辞めたいんじゃなくて、続けられないんですね」池元がやさしく言った。
その一言に、佳代は思わずうつむいた。ずっと自分でも言葉にできなかったことを、はじめて誰かに言い当てられた気がした。
面談を終えた森田が、つぶやいた。「……こういうの、点数稼ぎのためじゃなくて、私たち自身のためになるんだね」
津森が笑みを浮かべる。「そうです。制度は箱にすぎません。中に何を入れるかは、みなさん次第です」
加算という言葉が、ただの数字ではなく、自分たちの未来をつくるものへと、少しずつ色を変えはじめていた。