── 一晩寝かせた迷い
夏祭りで高梨園長から掛けられた「また手伝ってくれない?」という一言。
家に帰った亜紀は、もう一度保育の現場へ戻りたい気持ちと、「今さら」という不安の間で揺れ始めます。
「先生、また手伝ってくれない?」
夏祭りの帰り道、境内の賑わいから少し離れても、高梨園長の言葉が頭の中で何度も繰り返されていた。
石井亜紀は、屋台で一緒にいた末っ子が「友達と帰る」と言って走っていったあと、一人で夜風を感じながら帰り道を歩いていた。
家に着くと、すでに中学生の長男が冷蔵庫を漁っている。
「おかえり。祭りどうだった?」
「普通。金魚すくい、全然ダメだったし。」
生意気そうに口をとがらせる姿に、小さく笑って麦茶を注ぐ。
玄関には、まだ片付けていない役員資料や、子どもたちの学校プリントが散らばっている。
忙しい日々に慣れてしまったせいか、いつからか“自分のこと”を考える余白なんてどこにもなかった。
「……また保育園で?」
つぶやく声が小さく室内に落ちた。
あの頃、泣いている子どもをあやして名前を呼んでいた自分。
それが当たり前だったのに、いつしか思い出になってしまった自分。
「手伝うだけ、なら。」
そう思っても、すぐに「でも今さら」という言葉が押し戻してくる。
“保育士”という肩書きを、もう一度名乗ってもいいのか。
誰に遠慮しているのか、自分でもわからないまま、亜紀は麦茶の氷が音を立てるのをじっと見つめていた。
家族との会話の中で、「戻りたい気持ち」と「もう無理かもしれない不安」が交錯していきます。