──夏祭りの境内で
地域の夏祭りで、石井亜紀は懐かしい人と再会します。
その一言が、止まっていた時間を少しずつ動かし始めました。
「ママー! 金魚すくいやってもいい?」
境内に並ぶ屋台から、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。
ちょうちんが夜風に揺れる中、石井亜紀は浴衣姿の末っ子に呼ばれて足を止めた。
上の子はもう中学生になり、友達同士で屋台を回っている。
でも、まだこの子には母親がそばにいないと心細い年頃だった。
地域の夏祭りは、子どもが大きくなってもなんだかんだで足が向く。
今年は町内会の役員を頼まれ、受付の手伝いもしていた。
そのときだった。
屋台の裏手で、小さな子どもが泣いている。
お面が外れ、転んでしまったようだ。
気がつくと、亜紀は自然と駆け寄っていた。
「大丈夫? どこから来たの?
お母さん、一緒に探そうか。」
泣いていた子どもの手をそっと握った、その瞬間。
「……石井さん?」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、ちょうちんの明かりの向こうで優しく笑っていたのは、高梨美穂。
地域の保育園の園長だった。
「久しぶりだね。元気してた?
今の、すごく助かったわ。」
高梨は少し笑って続ける。
「やっぱり、石井さんは先生だね。」
亜紀は照れくさそうに首を振った。
「もう先生なんて……
ずいぶん昔の話です。」
「そう?」
高梨は少し間を置いて、静かに言った。
「……でも、また、ちょっと手伝ってくれない?」
夜風に揺れるちょうちん。
祭りのざわめき。
その一言が、止まっていた亜紀の時間を、ゆっくりと動かし始めた。